Archive for the 'ガンバ大阪歴代選手の思い出' Category

木場昌雄・元ガンバ選手の思い出 その5

故障がなければ、まだガンバにいたkもしれいし、まだ現役選手としてがんばっているので、オールドスターというタイトルは少しかえてみた。
木場昌雄という男は、プロアスリートの鏡のような男だ。
若い選手や仲間、ファンには気さくなアニキであり、ことサッカーに関してはストイックなまでにこだわり続け、ビジネスマンとしてもきっちり約束事の守れる、本当に頼れる男である。
彼の個人スポンサーや用具サプライヤーが未だに彼を支援し続けている理由がよくわかる。
神戸の震災復興サッカーイベントで彼と初めて直接長い会話をするチャンスを得たが、男が惚れる男である。
膝の持病でガンバを離れたが、今もタイでプロ選手として、日本人のパイオニアとして、多分タイの若い選手に喝を入れているはずである。
近い将来、若いガンバ選手の手本となって、ガンバ王国の一員を担ってほしい貴重なガンバ人材のひとりである。
プロアスリートとして生き方をきっと若い選手に植え付けてくれるはずである。
彼の近況は以下のニュースで。
http://www.newsclip.be/bz/018830.html

金曜日, 8 月 1st, 2008

ガンバオールドスターの思い出 その4

正確には、ガンバ大阪の選手としては、Jリーグに出場していないので、どうしようかと思いましたが、大阪のサッカーの歴史を語る上で、かかせないのが、この佐々木博和氏。
松下時代に長く中心選手として活躍したが、J開幕時にはヴェルディへ移籍、その後セレッソで現役を終えて、セレッソのユース監督なども努めた選手だ。
ペレが認めた少年として一躍有名になった枚方FC時代から、ドリブルの名手として関西のサッカー界では知らない人がいなかった。
松下が日本リーグの2部から一部に昇格した時代の中心選手だ。
彼に聞いたところ、学校でも家でも、もちろん通学路でもずっとボールをドリブルしていたという。学校の階段ももちろんドリブルしたままあがっていたらしい。そんな努力(というかすきだったんだろうね。)もあって、類まれなる足さばきができるようになったのだろう。
彼が一時育てたセレッソ大阪のユースチームは、敵に囲まれたディフェンダーがドリブルで窮地を切り抜けるという見ていて本当に型破りでおもしろいチームだった。
先日モウリーニョがテレビのインタビューで、どうしたらサッカーがうまくなるかという日本人の少年の質問に対して、
『おきているときは、どこに行くときもボールと一緒で、寝るときもボールと寝なさい!』と言っていたので、まさにこの佐々木選手がやったとおりのことが、今も通用するということだ。
またガンバの下部組織から、日本サッカーに革命を起こすようなサッカー小僧の出現を期待したい。
ポイントは、寝るときも、学校へいくときもいつもボールと一緒!

金曜日, 7 月 4th, 2008

ガンバオールドスターの思い出 その1

1993年のJリーグ創設時に関西を沸かせたガンバのナンバーワンスターと言えば、永島氏だ。
神戸にある御影工業高校(現在の科学技術高校)から松下に入った関西地元のスター選手だ。
御影工業高校は、市内の布引中学の名指導者であった一北氏を招聘し、永島入学の数年前からチーム強化を
図ってきていた。
さて、この永島選手、ピッチで輝くスター性という意味では、ガンバ大阪の歴代ナンバーワンだったと思う。
また昔ながらのセンターフォワードとして、オフサイドラインぎりぎりから飛び出す技術は、一級品だった。
僕が大阪で観戦した清水エスパルスとのJ開幕前のプレシーズンマッチ(旧長居スタジアムで開催された)でも
観衆の目を釘付けにしたのは、彼のピッチに立つ姿であった。
ここ数年は外国人選手や日本人ではスピードスタータイプのフォワードの多いガンバだが、
永島のような正統派センターフォワードの日本人選手も、また見てみたいものだ。

水曜日, 6 月 4th, 2008